2016年5月26日木曜日

日本の近代化を支えた信長的な無宗教観

16世紀、遠くポルトガルから日本にやってきた宣教師ルイス・フロイスは多くの戦国武将や将軍と出会い、交流しその様子を記録しています。なかでも信長へは畏敬と敬愛の念をいだいていたことがわかっていますが、信長の宗教観について以下のような記述があります。「彼は神や仏の一切の礼拝、尊崇、すべての異教的な占卜や迷信的な慣習を軽蔑した。(中略)すべての偶像を見下げて霊魂の不滅や来世の賞罰などはないとした。」当時ルイスはこうした信長の考え方に驚いたようです。ただ信長は神仏を単に蔑視したのではなく、時には神にお願いをしたり、利用したりもしています。きわめて現世主義というか、現実しか興味がなく、また信じないという精神構造は、現在の日本人にも通じる宗教観といえるでしょうか。おそらく現在の地球上で最も無宗教なのは、中国などの社会主義国とかではなく、この日本ではないかと思います。こうした精神のルーツはすでに信長の時代に生まれ、その後の江戸、明治、戦後の発展を通じてそれは民衆のなかに貫通していて、実は日本の発展を支えてきたように思います。日本では既成の宗教が経済や社会の阻害要因となったことはなかったのではないでしょうか。ただし、昭和の一時期、天皇や神道の名のもとに戦争を賛美し、破滅への道に猛進したという「国家神道」という暗い官製宗教の存在があるのは事実です。世界の歴史を振り返ると、宗教は、人々の暴走をコントロールしたり、豊かな土着の文化を醸成したり、またフロイスのような命を捧げるという純粋な使命と行動力を生んできました。現代のような宗教の名で自爆テロを行うというような狂気の行動規範は、いつごろ生まれたものなのでしょう。宗教に熱狂する人々や、暮らしのすべてが宗教に規制されてしまったような生活を見るにつれ、宗教が大事なのはわかりますが、あの信長のようにもう少し現実を変える発想、どうすれば現世を豊かにできるかという着想がなぜそこに育たないのか、そしてわたしたちは何ができるのか、といつも思ってしまいます。


0 件のコメント:

コメントを投稿